そもそも「仕事」ってなんだろう

はい、ごめんください。コスギスのコスギです。

タイトルのギモンに至った経緯は後述しますが、信頼する仲間の鈴木克成(かつ)さんと「自分の納得解をアウトプットする会をしよう!」と意気投合して、その勢いで「そもそもカフェ」というイベントを開催しました。

参加者が思い思いにアウトプットしたのですが、私も「仕事」について考えてみました。

「仕事」ってなんだろう

この日、主催者を除いて5名の方に参加していただき、かつさんが2名、私が3名の方の話を伺いました。主催者の2人はファシリテーター、傾聴役です。私のグループでは、以下のような話題が出ました。メモしたところをざっくりと記します。

お金が発生する活動

  • 仕事ってお金のためで苦しいものだった。お金は大事だけど、苦しむ仕事は辞めたい。
  • 苦しいことをアウトプットすると自分がラクになる。それが仕事につながればすごくいい。
  • 一日の中で一番時間をすごすものだから、ラクに楽しくやりたい
  • 体力的にツラい、精神的にツラい、金銭的にツラい、時間的にツラい
    → この4つがツラくなくなれば理想的な仕事になるのでは?

パラレルキャリアについて

  • 別の顔を持つ(色々な名刺をもっている)=本業にも活かされる
  • 組織に守られているけど自由がない、自由だと組織に守られない → 両立できる
  • 別のキャリアが活力やモチベーションにつながる

コドモにとっての仕事とは?

  • 親を見ていたコドモとしての自分 → 親って大変そう。憧れる大人がいたら、違う発想になったかも。夢とかよくわからない。
  • その時にしかできないことをするのがそれぞれの年代の仕事では。
  • 子どもの夢とは?→ひとりぐらしをしたい(あるある)

ひとは仕事が欲しいんじゃ?

  • 仕事=役割 → 感謝されたい → 生きがい・やりがい
  • お互いに役割をまっとうしている
  • 畑「仕事」→ 農家とは別の話。お金にならなくても、役割としての仕事。

私にとっての「仕事」とは

皆さんの話を聴きながら、「役割」「役目」というのが何かハマった感じがしました。ということで私の場合は、

「社会(誰か)に貢献することで対価を得られる役目」

と、定義してみました。

「対価」は金銭的な報酬以外にも、精神的なもの、物質的なものがあります。ライスワークは金銭的対価を得られる仕事、ライフワークは精神的・物質的な対価を得られる仕事と言えますね。私は、ライフワークとライスワークが一緒で両立できるのが理想ですが、パラレルキャリアという生き方を好む場合は、必ずしも同じ仕事である必要はないのでしょう。

そして「役目」。私はその場で「役割」という言葉を使ったのですが、参加者の方が「役目」という文字でアウトプットしていたので、言葉の面白さがここにもありました。

「役割」は「割り当てられた役目」。組織や団体の中で果たすべき任務という意味が強そうです。「役目」は「役としてやり遂げるべき仕事」。責任を期待されている行動という意味が強そうです。ふむふむと調べてみて、「役目」としました。

参考:
役割(ヤクワリ)とは – コトバンク
役目(ヤクメ)とは – コトバンク

あくまでも、対価あっての仕事です。対価を求めないのは奉仕、もしくは愛。だから、「親の仕事」に「養育」はあっても「愛すること」は仕事ではありません。そして対価を求める奉仕は、むしろ仕事と考えたほうが捗るんじゃないでしょうか、色々と。

子どもにとっての「仕事」とは

子どもの仕事は学ぶことだと考えていたのですが、上記のように定義したことで違和感が生まれました。かといって「子どもの仕事=家の手伝い」と結論付けるのもイマイチです。上記の定義には「人生の瞬間瞬間で」という枕をつけようかとも思ったのですが、冗長になるので省きました。とはいえ、仕事は大人だけのものではないはずです。

「子どもの仕事」に納得できる答えが出ないまま、しばらくウンウン考えていたら、ふと、私が私の視座でしか考えられていないからなのでは、と気づきました。子どもにとっての仕事は、子どもたち自身が答えを出せばいい。親や大人が「子どもの仕事ってこれだよね」と提示する必要なんてない。

私が望んでいる「自分で考える環境」を奪いかねないことに気づきました。あまりに無意識すぎて衝撃でした。

もし子どもたちが「仕事」を「大人のやること」「大人にならないとできないこと」だと捉えているとしたら、一度「子どもの仕事」は何かを深めてみたいです。その上で、やっぱり「仕事=大人のやること」と結論づけることになっても、結論に至るまでのプロセスを共有できたらきっと楽しいだろうなあ。

ちなみに、「仕事」と密接な関係にある「はたらく」については今回のカフェで深めませんでしたが、孫泰蔵さんの記事がオモシロイなあと思ったのでご紹介しておきます。

参考:TAIZO SON’S BLOG — はたらくということ

ひとまずこれで、私の中にある「仕事ってなんぞや?」には、私なりの答えを出すことができました。きっと皆さんとは違うかもしれませんが、それでいいんじゃないでしょうか。

そもそも「そもそもカフェ」を開催した経緯

情報が加速度的に増えていき、自分で判断しなければならない局面が増えている昨今、素早く答えを出すことは大切だし、結果を出すことも常に求められますが、テクノロジーの発展や世界情勢の変化が速度を増しているように感じる中、「誰かから得られた答え」は、必ずしも自分にとって正しいものとは限りません。とはいえ、正義の反対はまた別の正義でしかないので、「自分の絶対解」を持つのも危ういです。

だからこそ、「今の自分にとっての納得解」を柔軟に持っておくことは、すごく意義のあること……というか、人生を自分で選択できる拠り所になるのではないかと考えています。

そして、現代のコミュニケーションにおいては、言語や文章の情報は非常に大きいです。インターネットで目にする情報のほとんどは文章ですから(こういう話をすると、メラビアンの法則が持ち出されますが、アレはあくまで「言語と非言語の情報に矛盾が生じた時に、9割がた非言語の情報が選ばれやすい」というだけの話なので、文字情報は大事です。超大事です)。

ビジネスも行き着く先は対人コミュニケーションなので、自社のサービスの魅力を相手に受け取ってもらうためには、やはり魅力や熱意の言語化が必要です。

ここで言う「言語化」の定義は、「相手が理解できるような文章としてのアウトプット」です。そして、言語化する力は筋力と同様、普段からアウトプットを意識していないと衰えます。話がムダに長い、文章がまとまらない、相手に伝わらない、などの状況に陥ります。卑近な例で言うと、ブログが書けなくなります。私です。

ちょっと危機感を感じたので、まずは自分の考えを言語化する機会を増やしたいということと、同じように言語化力を鍛えたい方がいればいいなということで、今回のカフェを開催するに至りました。

なんというか、コスギスのブログとしては思いっきり異色の記事ですが、こうやって自分の考えをアウトプットするのは Facebook でちょいちょい書くくらいだったので、良いリハビリです。また一年後や五年後に見返した時に「あの時とは変わったなあ」と変化を感じることができたら、それはそれでいいなあって。

ちなみに、自分の考えを持つ大切さは、苫野さんの本を読んで共感して影響を受けました。アマゾンのPrime会員なら無料でKindle版を読めますし、読みやすい内容なのでオススメです。もう一冊の哲学的思考も読んでおきたいです。

1978年、新潟県南魚沼市生まれ、長岡市在住。夫と子ども2人をこよなく愛す。

教員養成課程を修了して教員免許を取得するも、民間企業に就職して12年近くウェブ制作に関わる。デザインから開発まで、制作業務をトータルでこなすオールラウンダー。

2013年4月には新潟県で初のウェブ解析士マスターになり、同年6月に起業、コスギスとして活動。心理学に基づいたコンテンツ分析と、SNSなども含めた幅広いウェブマーケティング、そしてWordPressでのサイト構築を得意とする。

ウェブ活用の人材を育てる「ウェブ解析士認定講座」や関連セミナーを新潟県内で唯一定期開催。WACAアワードにて 2016年 Best of Best を受賞。2017年 ペライチ公式 新潟県代表サポーター。

初心者向けのWordPressの勉強会(WordBench新潟・長岡藩)や、ホームページ勉強会を主催。セミナー講師としても活動中。