パン屋がホームページを活用したら・9

9・ガールズトークとパン屋

契約金額は、法外な価格ではなかったが、決して安くはなかった。

それは、プロとして “パン・ド・ムーの売上をウェブ活用によって上げる” ということへの、お互いの覚悟のためという。だから、安易に値下げはしないという姿勢を貫いていた。

分割はできるということだったが、リース契約との違いを丁寧に説明された上で、ハルノリは敢えて一括払いを選んだ。背水の陣とは、負けを悟った者の言葉ではなく、勝利を得るための戦略である。

かくして例の女性、袴田ミヅキが担当となり、定休日にはパン・ド・ムーの店内に置かれた小さなテーブルで打ち合わせが始まった。ハルノリは仕入れのため打ち合わせにはあまり参加できないが、心配はしていない。技術的な話はだいぶ後になりそうだったし、何より2人を信頼している。

梅雨に肩を濡らしてやってきた彼女は、以前より少し丸くなった気がした。

「ムツミさんは、ホームページの最終的な目的って何だと思いますか?」
「えっと、たくさんの人に見てもらう、ということでしょうか?」
「ファイナルアンサー?」
「はっ!? ……ファ、ファイナルアン……いえっ!違います!ホームページを見た人がうちの商品を買ってくれることです!」
「…ファイナルアンサー?」

ニコニコと笑う美人にからかわれている気もするが、同じ轍を踏むものかと、ムツミは自信満々に言った。ハルノリがこの場にいれば、同じくらいの年齢なのかと考える余裕があっただろうが。

「ファイナルアンサー!」
「残念、ちょっと違います」
「だって、買ってもらわないことには商売は成り立ちませんよ?」
「はい。ホームページを見て、足を運んで、買ってもらうというところまでは正解です。その上で、常連さんになって、他の人にもお店の魅力を紹介してもらい、更に常連さんを増やすこと、が正解です」

そんなのわかりません!と反論するものの、「ですよね。それをこれから考えましょう」と笑顔で返される。何となく悔しい気もするが、少なからず、楽しい。

「パン・ド・ムーさんにも常連さんはいらっしゃると思いますが、同じ商品をよく買う人と、新商品をよく買う人、それぞれどんな特徴がありますか?」

常連客をひとくくりにしていたムツミには、新鮮な考え方だった。

「そうですね……同じものを買う人は、年配の方が多いですね。バニラバターとか。それと、すぐ食べるためのものを一緒に買うことも多いです。アンパンとか、昔ながらの小さめのものが好きみたいです…それと…」

思い出すようにつぶやくムツミの言葉は、横に伸びるツリーの形を描いてノートにまとめられていく。

「あと……新商品を買うのは学生が多いかな。週末に来る親子は子ども向けのパンをよく買って行きますね。そういえば、数人で来る場合が多いかも。一人でよく来て新商品を買っていく人…は、2人くらい、いるかな」
「その学生や親子の顔って、よく覚えています?」
「顔ですか?…うーん…学生は近くの高校からよく来ているのでだいたい覚えていますが、親子はまあ…ある程度、かな……」

ミヅキは相づちを打ちながら、項目に枝を伸ばし、ペンの色を変えながら何やら書いている。しばらくすると、ムツミの言葉がマインドマップとして見事にまとめられていた。ところどころ、赤い丸がついている。

「先ほど、ホームページの最終目的は常連さんを増やすこと、と言いました。つまり、今まとめたこれらの常連さんが増えれば、安定的な売上につながるわけですね」
「なるほど…」
「ですが実際には、ホームページではこれらの方々すべてを増やすことはできません」
「そうなんですか?」
「はい、年配の方はほとんどインターネットを使いませんからね」
「あっ…」

ムツミは、先ほどの自分の質問を恥ずかしく思った。ほんの少し考えてみれば、そのとおりだ。

「ですので、ホームページからお客様を集めるために、まずターゲットにするのはこの方々です」

“新商品” と書かれた項目から伸びる枝を指し示されたそこには、来店頻度や時間帯などが書かれていた。書かれているが、”よく” “たまに” などの曖昧な言葉が目立ち、赤丸がついている。自分の適当さに顔から火が出る思いだった。

「この、赤丸の部分をちゃんとしなきゃ、ってことですね…」
「そうです!人の勘や経験って、あまりアテにならないんですよ。どんな人がいつ来てどれくらい買うのか、というのが具体的にわかると、同じような傾向の方にもアプローチしやすくなるんです」
「うーん……常連さんが来る日と時間をメモしておけばいいってことですか?」
「ムツミさんは、自分が何をできるかという行動を考えてくれるので、話が早くて助かります」

ミヅキはそう言って図をスマホで撮影すると、そのページを破いてムツミに渡した。

「個人の情報を追っかけるのではなく、この赤丸の部分が埋められればいいですよ。たとえば、ひとりで来る方は平日お昼、とか、学生さんは毎週水曜日の閉店前、とか。思い出したものを今日中に書いておいて、1週間の傾向で答え合わせしてみてくださいね」
「なるほど、やってみます!」
「ではもうひとつ、クイズです」

イタズラっぽい笑みを浮かべて、ミヅキは人差し指を立てると、ドアを示した。

「今日が営業日だとして、ドアの向こうに人がいます。その人は将来の常連さんですが、今はまだ違います。パンが美味しいと噂に聞いて、初めて店を知った方です」
「常連さんも、最初は一見さんだったってことですよね」
「そのとおりです。その人は、お店に入ろうかどうしようか迷っています。声をかけずに、ドアを開けていただくとしたら、どうしますか?」
「うーん……バニラバターの香りが届けばいいんですが」
「そうですね、私もアレには…」

彼女は思わず鼻を鳴らす。定休日とはいえ、ふんわりと漂うバニラの香りは、すべての客を虜にする力があるのではないかと錯覚する。ミヅキ自身も、個人的に足を運ぶようになっていた。最近太ったのは、このパンのせいだ。

「その匂いも届かないとしたら、どうしますか?」
「うーん……」

ムツミは押し黙ってしまった。店の看板商品に頼るのは悪いことではないだろうが、それ以外で魅力を伝えるのは、こんなにも難しかったのか。

「…ちょっと、わかりません」
「いいですよ。自分のことって意外と見えないものです。わからない時はわからないと言ってくださいと、最初に言いましたもんね」

ニッコリ笑った美人担当者は、同性のムツミも思わず惹かれることがある。

「では。ムツミさんが、初めてのお店に行った時や、新商品を買う時、何に興味を持って選びますか?」
「えっ!?何に、って……うーん…最近新しいお店にも行かないけど…スーパーのポップとかで新商品!ってあると、気になりますね。あと、店長のおすすめとか。イチゴの特集とかあると結構なんでも買っちゃうんですよ……ツブツブ入ってると、もう、とにかく美味しいんですよね!」
「私はバニラとかミルクとかプリンに弱いんですよー。バニラビーンズと書かれていたら、絶対手が伸びますね」
「あ〜、バニラバターブレッドのフレンチトーストとか」
「埋もれて死にたいですね」
「そこにアイス乗せたら死ねますね」
「……はい、即死です。あと、はい、ただ、でも、これ以上は、私のお喋りを止められる自信がないので、まずは話を戻しましょうか。ヒントはたくさん出ましたね」

ミヅキは3度ほど強く頷きながら笑って、ノートに何やら書いている。
ムツミは今度、バニラバターブレッドの生地を使った新商品をプレゼントしようと心に決めた。その時は、時間を気にすることなくお茶しよう、とも。

差し出されたノートには、会話のキーワードがメモされていた。

「ポップ、おすすめ、特集、人気の原料……なるほど。そういえば入口にブラックボードを置いてあるお店って、確かに見ちゃいますね。ドアの向こうの人がこういうのを目にすれば、興味を持って入ってくれそうですね」
「そうですね。見た人が入りたくなることが書いてあれば、入ってくれますよね。次は、入ってからパンを選んで、買ってくれるまでを考えてみましょう」

CLOSEDの札の掛かったドアの前で、雨宿りしていたスズメたちが飛び立つ。
立ち込めていた雲は、少しずつ晴れていった。

次:パン屋がホームページを活用したら(終・笑顔になれるパン屋)

※この物語はフィクションであり、実在する企業名、団体名、地名、および人名等とは一切関係ありません。

ウェブの心理戦略家。WordPressの勉強会(WordBench新潟・長岡藩)も主催。顧客の心理と分析を裏付けるデータを元に、心理学に基づいたライティングとWordPressでのサイト構築が得意。新潟県長岡市在住。2013年4月には新潟県で初のウェブ解析士マスターになり、同年6月よりコスギスとして活動。夫と子ども2人をこよなく愛す。おやつはプリン。

どれでシェアする?