交流分析士2級 集中講座 参加レポート(3日目)

はい、ごめんください。コスギです。

年末にバタバタしていたら、3日目の振り返りの記事を書くのが5日目直前となってしまいました。直前というより目前、行きの新幹線の中です。

交流分析の講座は日を追うごとに前に習った知識が深まるというか、その時によくわからなかったものでも「そういうことだったのか!」と、後日習う内容で説明がつくことが多いのです。もやもやしたまま書くのもなあ……とか、言い訳ですスミマセン。

そんなわけで3日目。メモ書き兼、参加レポートです。交流分析講座は毎回のように講師の先生が変わるので、違った視点からの振り返りを得られました。

(振り返り)交流分析ってなんだっけ

交流分析(TA)を提唱したエリック・バーンは精神分析のお医者さんになりたかったことから、元々は「集団心理療法」でした。

フロイトの提唱した精神構造は、イド、自我(ego)、超自我(superego)の3つで、意識の分析が主立っているものの、バーンが提唱した交流分析のPACモデルは、行動から分析している点で大きな違いがあります。Aは現実的対応、Pは価値判断、Cは感情として整理できたのは良かったです。

とはいえ、心理学はたかだか100年程度しか経っていないため、根底は似通っており、交流分析はこういう使い方、ユングならこう、アドラーならこんな表現、というだけのもの。交流分析は様々な説の影響を受けていて、取り入れられるものを取り入れているのですよね。

イイとこ取りで使いやすく「口語的な心理学」と言われる交流分析の裏には、「親密な交流を回復する」という目的があります。「親密」とは、あなたもOK、自分もOKと心から認め合えること。交流分析を学ぶ目標としては、自己理解と気づきが挙げられますが、特に気づきは大事。気づきがないと何も変わらない。自分で変わろうとしない人は変わらない。うん、やっぱりそうだよNE!

といった基礎から復習し、今までやってきた自我状態の構造分析、機能分析、対話分析をざっくりと復習。テストに出やすいところをカバーしてもらえたイメージでした。

残っていた対話分析を行なう際、テキストという文字情報からはなかなか見えにくい非言語の部分(アルバート・メラビアンの表現効果総量の法則によれば、93%もの部分)に相変わらず翻弄されつつも、やっと第2章を修了。今までよくわからなかった部分が、鋭角裏面交流(表面は交差交流で裏面が相補交流、相手の気持ちに相補している)と二重裏面交流(表面が相補交流で裏面が表面とは異なる交流)でだいぶ説明がつくようになりました。

相手の状態を観察しながら、瞬間瞬間の刺激と反応の一単位を紐解いていくと、ゆっくり相手の話を聞きながらも望む方向に落とし込めるのかなと思いました。もっと深い対話分析は1級でやるそうですが。

交流分析はストローク主義

交流分析はこのためにあると言っても過言ではない、ストロークの章。交流分析におけるストロークとは、「あなたがそこにいるのを私は知っている」という「存在認知」の刺激の一単位で、身体的・精神的刺激があります。

この「相手の存在を認める」というのがポイントで、存在を認められない(ストロークがない)と愛情欠乏症になり、成長ホルモンや免疫力が落ちてしまうという実例もあります。エリック・バーンは「人は何のために生きるか。それはストロークを得るためだ」と言っていて、マザーテレサの言葉にも「最も悲惨なことは飢餓でも病気でもない。自分が誰からも愛されていないと感じることです」とあるくらいです。

「心の栄養素」とも言われるストロークですが、ストロークそのものは肯定的・否定的な両方の面があります。肯定的なストローク、つまり愛されている、好かれていると(与えられた相手が)感じるものがないと、否定的なストロークすら欲しがってしまいます。

母親からかまってもらいたくて言うことを聞かない子どもや、好きな子に素直になれなくて相手をいじめてしまう子どもなどがわかりやすいですね。

いわゆる「ほめて育てる」というのは相手をおだてるのではなくて、相手に肯定的なストロークをたっぷり与え、ストローク飢餓を起こさなくて済むような状態をつくるのだという説明がつきます。

ただ、肯定的か否定的かのストロークは相手の受け取り方がすべてなので、相手をコントロールできるものではありません。無条件かつ肯定的ストローク(たとえば言語的には「生まれてきてくれてありがとう」非言語では「目を見つめてハグする」みたいなこと)は相手を心から認めることなので、それができるのは自分の肯定的ストローク状態にもよるのでしょうね。無条件かつ肯定的ストロークに飢えた状態では、なかなか相手への無条件かつ肯定的ストロークを与えることが難しいのではないでしょうか。できなくはないですが。

親にされたことを自分も繰り返してしまうのは、自分がストロークを得られた方法がCに刷り込まれているためかもしれません。自尊心との兼ね合いも知りたいところです。

なお、自分がどのようなストロークを与えたり受け取ったりしてしまうのかの傾向もチェックしました。

あくまでチェック項目での判断ですが、ネガティブストローク(否定的なストローク)を与えたいとも求めたいとも思わない素直さ……!ただ、チェック項目で自己判断する際にいつも、今の自己分析ではなく、自分の理想ではないかと考えてしまうので、意識はしているのですが意識しすぎている気もします……。

ストローク経済の5つの法則

経済=お金の動きという印象が強すぎて、「経済」といってもピンと来なかったので、改めて経済という言葉の意味について引いてみました。デジタル大辞泉の解説によると、

人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係。

とのことなので、ストローク経済とは「ストロークを通じて形成される社会関係」ですかね。

5つの法則には、相手をコントロールするために肯定的なストロークを減らし、(価値=需要の高まった)肯定的なストロークを得たいがために相手に従う傾向が共通しています。ですので、法則は制約的なものであり、いわゆるネガティブあるあるですね。以下のように、日常的に禁止していませんか?という話です。

①与えるストロークを持っていても、ストロークを与えてはいけません(与えるな)

たとえば、親が「90点?なんで100点じゃないんだ?」と、子どものテストのがんばりを認めない場合。本来なら「90点も取ったのか、がんばったな」で良いところを、否定する必要はありません。そうすると子どもは親に認められようとして、他を犠牲にしても100点を取ろうとします。親のコントロールに入ってしまっていますね。

②ストロークが必要な時でも、ストロークを求めてはいけません(求めるな)

たとえば、子どもが「お母さんに見てほしいけど、忙しそうだし……」と我慢してしまう場合。本来なら「お母さん、見て見て!」と言いたくても、①のように、肯定的なストロークを与えられなかった経験があるのかもしれません。親の顔色を伺い、親の命令に従うようになってしまいます。

③もしそのストロークが欲しくても、それを受け取ってはいけません(受け取るな)

たとえば、相手が心からほめているにも関わらず、「いえいえ、私なんか」と謙遜してしまう場合。日本人あるあるですね。自分で自分を否定してしまっているので、素直に喜べなくなってしまいます。相手のコントロールを受けるとしたら、お世辞や過度の期待に対しても応えようとしてしまうところでしょうか。後に出てくる人生態度で言えば、第2の立場に揺らぎやすくなってしまうのかな。

④欲しくないストロークであっても、これを拒否してはいけません(拒否するな)

たとえば、「お前は馬鹿だから」といった暴言や、殴る蹴るなどの暴力を受け入れてしまう場合。本当は拒否したいけれど、相手に従わざるを得ないと判断して我慢してしまいます。特に、否定的なストロークにさらされていると、相手の肯定的なストロークの価値が高まり、抜け出せなくなってしまいます。DV被害などがこれにあたりますね。

⑤自分自身に与えたくても、ストロークを与えてはいけません(自分に与えるな)

たとえば、「自分はダメな人間だから、もっと頑張らなければ……」と、過小評価してしまう場合。本来なら自分自身を認めても良いのですが、それをせずに他者からのストロークを得ようとしてしまいます。自分を認めてくれる相手に従ってしまったり、自分を認めさせるために相手を従わせようとします。

・・・例文書いててツラい(´;ω;`)ブワッ

これらを否定形ではなく提案にすると、以下のようになります。

①与えるストロークを持っているなら、ストロークを与えましょう(与え上手になろう)
②ストロークが必要な時なら、ストロークを求めましょう(求め上手になろう)
③もしそのストロークが欲しいなら、それを受け取りましょう(受け取り上手になろう)
④欲しくないストロークなら、これを拒否しましょう(断り上手になろう)
⑤自分自身に与えたいなら、ストロークを与えましょう(自分を褒め上手になろう)

特に⑤の「自分を褒め上手になろう」は、「自分は何を大切にしているのか」を見直すことで、自分へのストロークを与えることができるきっかけになります。自己肯定感や自己受容感が低いと感じる方は、試してみてください。

「ストローク」という観点を知ってからコミュニケーションが一気に可視化されたので、交流分析を学ぶ中で一番日々の行動に活かせる内容でした。この「ストローク経済の5つの法則」を知ってから、子どもたち(11歳と8歳)がせがんでくるハグや一緒の布団で寝たいという要望に対してまっすぐ応えるようになりましたし。

その結果、学校や周りの反応に過敏になっていた娘8歳は、自分から楽しめる方向を見つけられるようになり、意地を張ることの多かった息子11歳は素直にストロークを求めて自分の気持ちを話せるようになり、どちらも落ち着いて状況を見ながら行動できるようになりました。

元々、子どもたちとは自分の気持ちを言葉で共有することを意識していたので、こちらの態度を変えたことで反応も出やすかったのかとは思いますが、ただ話を聞く姿勢をつくるだけでなく、非言語としても無条件かつ肯定的なストロークを与える(「与える」という言葉が偉そうなら「渡す」「出す」でもOK)ことを意識するだけでかなり違うという印象は受けました。

とはいえ、私は聖人君子ではないので、否定的なストロークを与えてしまうことだってあります。

(子どもの背筋を正すために)背中を小突いたり、「もう知らない!勝手にしろ!」と怒ったり、「宿題が終わったのはいいけど、片付けが済んでないよ」と伝えたり、話しかけられても舌打ちして無視をしたり。

身体的・精神的 ✕ 無条件・条件付きの事例として持っているものですが、文字にするとキツいですな……orz

このあたりが試験に出題されるそうなので考えざるを得ないのですが、こうやって自分の嫌な部分や弱い部分に「仕方なく客観的に」向き合える機会というのは非常に貴重なのではないかと。しかもそれを受講生同士で共有できる(当然、話したくなければ話さなくていいし、そもそもこんな風にブログで公開する必要もまったくない)ので、否定的な自己をお互いにただの事例として認め合えるわけです。「そんなことないよ」と否定されることもなく、「大変でしたね」とねぎらうこともありません。この「ゼロ」な環境は、のちの人生態度でいう第一の立場をつくるために必要な環境だと考えるようになりました。

そして、2017年内ラストの4日目へ続きます。

交流分析に興味を持ったら、入門TAの本、子ども向けのストロークを知りたかったら、エゴグラムSHE®が良いかもしれません。私は、講座そのものを強く勧めますけれども。