はい、ごめんください。
カタカナばかり見ていたら、ゲシュタルト崩壊を起こしたコスギ(@mekemoke)です。
今回はパクりを連想させる3つの言葉、「オマージュ」「パロディー」「インスパイアー」のそれぞれの意味についてまったりと。
パクりに対する個人的な見解も入れてありますが、「先人に敬意を表しつつ、元ネタが自分だとわかるくらい尖ればいいんじゃないかな」ってのが結論です。
それがしにくい業界もあるからこそ、パクり問題は終わらないんですけども。
改めて知っておきたい、似たような3つの言葉の意味
「これは◯◯さんをオマージュした作品です」
「これは◯◯のパロディ作品です」
「これは◯◯さんにインスパイアーされて作りました」
などで使われる3つの言葉。もし、よくわからずに使っていたら要注意です!
オマージュとは、敬意。英語ならリスペクト。
大辞林第三版によると、オマージュはフランス語で「敬意」を意味します。英語の「リスペクト」も同じと考えられますね。
オマージュ【hommage】
①尊敬の気持ちを表したもの。敬意。
②ほめたたえるもの。賛辞。献辞。
パロディーとは、元ネタがわかる言葉遊び。
大辞林第三版によると、パロディーは「元ネタが明らかにわかるもの」という特徴がありますね。
パロディー【parody】
既成の著名な作品また他人の文体・韻律などの特色を一見してわかるように残したまま,全く違った内容を表現して,風刺・滑稽を感じさせるように作り変えた文学作品。日本の本歌取り・狂歌・替え歌などもその例。また広く,演劇・音楽・美術・映像などの作品にもいう。
インスパイアーとは、思いを入れること。
大辞林第三版によると、インスパイアーは「命を吹き込む」という意味があります。
インスパイアー【inspire】
思想・感情を吹き込むこと。鼓吹。
引用元:インスパイアー(インスパイアー)とは – コトバンク
……なんぞこれ。
それぞれの意味が違いすぎて、間違えるほうがおかしいの?って思うくらい違うっ!!
百歩譲って、言葉の意味は時代とともに変わっていくとしても、ごちゃまぜに紛らわしくなるのは避けたいですね。使う側なら尚更。
以下、個人的なパクリ談義(蛇足)
先ほどの例を、それぞれの意味に照らしあわせてみましょう。
- 「これは◯◯さんをオマージュした作品です」
→ 訳:「これは(大好きな)◯◯さんに敬意を表して作成したものです」 - 「これは◯◯のパロディ作品です」
→ 訳:「これは◯◯を元ネタにして(おもしろおかしく)もじった作品です」 - 「これは◯◯さんにインスパイアーされて作りました」
→ 訳:「これは◯◯さんの思いに感動して(違うものを)作りました」
パクりを連想させる3つの言葉。
境界線は、それぞれが明確になっているかどうかでは?というのが、個人的見解です。
- 「これは◯◯さんをオマージュした作品です」
→ ◯◯さんが敬意を感じなければ、パクりである。 - 「これは◯◯のパロディ作品です」
→ 元ネタが◯◯だとわからなければ、パクりである。 - 「これは◯◯さんにインスパイアーされて作りました」
→ ◯◯さんの真似をしただけのものは、パクりである。
インスパイアーが一番わかりにくいですが、何かを学習する課程で「ものすごく参考になった!」と感じた時が、「インスパイアーされた」と判断できるのでは。
相手に敬意を払いつつ、自分なりの主張を入れ、まったく違うものに昇華したと考えられます。
有名な芸術家、ピカソはこんな言葉を残しているそうです。
Good artists copy, great artists steal.
意図的に、英語でそのまま引用しました。英語圏の「Good」は上から目線的な、若干皮肉が含まれていたかと。
そもそも私たちは、周りの大人の真似をして育ってきたはず。
「インスパイアー」は自分の中に感動をたくさん取り込んで、自分のモノにした人が言える言葉なんだろうなあ。
「オマージュ」や「パロディ」は、元ネタ(一次ソース)が明確でなければただのパクり。
第三者がその行為を中傷するのはまた別問題なので、注意喚起しつつ、一次ソースの人に教えてあげればいいんじゃなかろうか。
パクり=「虎の威を借る狐」です
パクる人って、実力が伴わないんですよね。だから、言葉も作品も、すべてが借り物。
「これってどういうことですか?」と聞くと、歯切れが悪い。もしくは「適当に持ってきたものです」って、ものすごく無責任。
ただ、閉じられたグループなら、別にいいんじゃないかなって思います。いわゆる、個人利用の範疇で。
他人の実績で自分への賞賛を、公共の場で求めるから、迷惑なんです。
逆に、嫉妬から「あいつは私の作品をパクった!」という人もいらっしゃいますね。
自分が想像(創造)できるものなんて、誰かも想像(創造)する可能性は十分あるわけですから、嫉妬なんて気持ちに惑わされずに、負けないものを作ればいい。
わかりやすさが正義というのは、とても残酷なことかもしれません。
だからこそ、自分の軸を持つのって大事なんですよね。自分流に昇華してしまえばいい。
パクられても、それが自分のだとわかる証拠を作っておけばいい。
パクられても、更にパクり返して、より良いものを作っていけばいい。
「守」「破」「離」でどんどん良くなればいい。
クリエイティブな業界ではパクりパクられ問題は根が深くて、特にお金が絡むと、簡単に解決できるものではないのですが。
久しぶりに天気の良い土曜日に、自分はたくさんの先人の知見に生かされているなあと思った次第です。